【映像’25 「鈴木順子 私は生きる~JR福知山線脱線事故20年~」】
2025.03.26
2005年4月25日、朝の通勤ラッシュを少し過ぎた頃、兵庫県尼崎市でJR福知山線の快速電車がカーブを曲がり切れずに脱線した。この事故で運転士と乗客107人が亡くなった。鈴木順子さん(当時30)は108人目の犠牲者になる、と言われていた。頭を強く打っていて、医師は「覚悟をしておいて欲しい」「助かっても意識は戻らないだろう」と家族に告げた。母・もも子さんは娘は必ず元気になると信じて看病を続けた。意識が戻ったのは事故から5ヶ月後、最初に口にした言葉は「おかあさん」だった。
順子さんは高次脳機能障害を患い、記憶が曖昧な状態が続いている。リハビリで身体は格段に動かせるようになったが補助なしで歩くことはできない。昨日よりも今日、きょうよりも明日、ゆっくりと回復を続けている。器用な手先を活かし趣味で続けていた陶芸もリハビリを兼ねて再開した。「仕事をしている気持ちになる」と真剣に取り組む姿は頼もしい。
今年4月、これまで作ってきた作品を集めて初めての大規模な個展を開く。生かされた命で精一杯生きてきた20年の記録である。