【映像’17「三陸夢幻鉄道~悲願から悲運の40年~」】
2017.03.19
2011年3月11日の大震災でMBSがJNN取材団として宮城県南三陸町に入って以来、毎年制作してきた「南三陸」シリーズの第8作です。今回は、津波で流され廃線が決定した鉄道とその復活をめざす人々のドキュメントです。
あの震災から6年。時は、無遠慮に街の姿を変えていきます。宮城県南三陸町の中心にあったJR気仙沼線「志津川駅」の駅舎は跡形もなくなり、津波で大破したプラットフォームは間もなく土地をかさ上げするための盛土に飲み込まれようとしています。津波で大きな被害を受けた気仙沼線を復旧させる条件として、JRは地元自治体に膨大な費用負担を求めました。自治体にその余力はなく、去年廃線が決まったのです。それに失望した住民たちが、立ち上がりました。
JR気仙沼線が全通したのはちょうど40年前(当時は国鉄)のことでした。明治29年に三陸一帯を襲った大津波で志津川町(現南三陸町)周辺は大きな被害をうけ住民は孤立しました。それを機に地元で鉄道誘致運動が盛り上がり、悲願80年ようやく1977年に気仙沼線が開通したのです。その日、喜び祝う5千人規模の住民たちの映像がTBC東北放送のライブラリーに残されていました。わたしたちはそれを持って南三陸町を歩き始めました。すると…。
駅で知り合って結婚したという夫婦。駅から梅の苗木をもらっていまも育てているという人。まもなく庭にその花を咲かせます。津波によって離れ離れになった南三陸町の人々ですが、鉄道が、駅が、人生に深く関わっていたという人は少なくありませんでした。
明治の大津波の教訓から開通した鉄道が、平成の大津波のためわずか36年で消えゆく運命となったのです。番組は、鉄道が地方で果たしてきた役割を見つめることで、住民たちが望む「真の復興」はどうあるべきかを考えます。