Video Unité

映像’22「93歳のゲイ~厳しい時代を生き抜いて~」_banner

【映像’22「93歳のゲイ~厳しい時代を生き抜いて~」】

 

長谷忠さん(93)は2018年、自分がゲイだと初めて周囲に打ち明けた。結婚したこともなく、同性のパートナーができたこともない。ずっと孤独と向き合ってきた。差別が怖くて、自分が同性愛者であることを89歳まで心に秘めて生きてきた。

 

香川県で生まれた長谷さんの初恋は、小学校の男性の先生だった。その後も恋愛感情や性的魅力を感じる相手は男性ばかり。周りに自分と同じような性的指向を持つ人がいることも知らず、家族にさえ相談できなかったという。これまで、倉庫作業や清掃など11もの仕事を転々としてきた。同性愛がばれるのが怖くて、仕事仲間と親密になるのを避けてきたという。

 

同性愛はかつて「変態性欲」とみなされ、治療が可能な「病気」とされてきた。同性愛者が偏見や差別に苦しむ時代が長く続く中、1971年に日本初の男性同性愛者向けの雑誌「薔薇族」が創刊される。編集長だった伊藤文学さんは「同性愛は異常でも病気でもない」と創刊当時から訴えてきた。薔薇族創刊からおよそ20年後、世界保健機関が「同性愛は治療の対象ではない」と示し、日本でも病気ではないという知見が確立された。

 

長谷さんは、同性愛が病気とされてきた時代を生き抜く中、ペンネームを使った詩や小説の中で、自分をさらけ出してきた。10代の頃から詩を書き始め、30代の頃には、詩人の新人賞としては最も歴史のある「現代詩手帖賞」を受賞。いまでも、短歌や俳句を書き続けている。自分が生きてきた痕跡を残すためだという。人生最後の目標は、これまでの作品をまとめて出版することだ。

 

同性のパートナーと暮らす人たちも増え、同性婚を国に認めるよう求める動きも活発化している。「いまの時代に生れていたら、違う人生だったかもしれない」と話す長谷さん。「人と違うことを認め合える社会になってほしい」。残りの人生をかけて取り組む93歳のゲイの日々を見つめながらこの国のゲイの歴史を振り返る。

SCROLL