【映像’22「追われた住まい~”故郷”を描く建築士~」】
2022.08.28
神戸市長田区と福島県双葉町。ふたつの町を頻繁に行き来する男性がいる。曺弘利(チョ・ホンリ)さん(69)だ。
曺さんは在日コリアン3世として神戸市長田区の旧国鉄高架下のバラックで生まれ育った。貧困に苦しみ差別を受けながら、苦学の末、28歳の時に1級建築士の資格を取得。長田で建築事務所を立ち上げた2年後の1995年、阪神大震災が起きた。事務所は消失し多額の借金を抱えるが、曺さんはあることに気付く。災害に国境はない-。
それから曺さんは国内外で起きる自然災害の被災地に行き、支援活動を続けてきた。2002年のイラン地震では学校を建設し、新潟中越地震では半年間、住み込み生活をおくりながら被災者の支援を行った。建築士としての職能を活かす支援と共に、曺さんは被災地の風景や人々の姿をスケッチで「記憶」として描き溜めてきた。
2011年の東日本大震災では炊き出しやがれきの撤去を手伝ってきたが、原発避難地帯が気になり、ある町に着目する。福島県双葉町だ。福島第一原発の事故により全ての住民が町外で避難生活を送ることになった町だ。今年6月、町はようやく一部の地域で避難指示が解除されることになった。曺さんは双葉町の人々に「住まいや故郷の記憶を持ち続けて欲しい」と願い、避難指示解除時の町を記録し続けることにした。役場庁舎が帰還するまでに100枚のスケッチを完成させるという。神戸長田の復興を見つめてきた曺さんが双葉町を記録して伝えたいこととはー。